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高浜の干拓
 
参考資料
高浜の干拓

   所在地:石岡市高浜、石岡市三村

 八木干拓と時を同じくして、高浜三村耕地整理組合が誕生して高浜干拓事業が始まり、そして完成したが、当地の記念碑文によると霞ヶ浦の高浜入りに注ぐ恋瀬川下流一帯は、葦の繁茂する広大な不毛の地であったが、大正8年に食料増産の声に応じて高浜町、三村の有志が協議して、荒廃田並びに葦原を開発して美田化する大事業計画が進められた。大正11年に至り発起人として廣瀬慶之助外5氏が選ばれ直ちに工事に着手し、昭和3年には新田の耕作が始まった。この地域は『常陸国風土記』にいう「高浜の海」で、底無しのため難工事は容易に完成をみなかった。完成後も昭和10年、13年、16年と相次いで大洪水に見舞われ、堤防は決壊し泥海と化した。幾多の困難を克服し、多額の費用が投じられた。さらに堤防工事と耕地整理に努力して、現在みられる約80haの美田とすることができたのである。

<石岡の歴史と文化 平成8年3月発行> 石岡市歴史ボランティアの会編集 石岡市教育委員会発行
( 登録No.116/08.12.08 )