景清塚 | ![]() |
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参考資料 |
景清塚 所在地:石岡市貝地ニ丁目6番 石岡市貝地地内にあり、平景清は桓武天皇の皇子葛原親王の子、高望王の子孫で、府中六井の一つといわれた室ヶ井の水で産湯をつかったと言い伝えられ、現在この地は景清山、景清屋敷と呼ばれている。 景清は寿永年間1183年、平維盛に従って屋島合戦に源氏の美尾谷十郎国俊と錣引の力競べをして、その剛勇をうたわれた。また扇の的を射た源氏の那須与一と共に屋島合戦の双璧を飾ったが、平家滅亡の後、源頼朝に従った。後に常陸国守護八田知家に預けられたが、食を断ち建久7年3月7日に命を終えた。 江戸時代より愛額社として祀られ、塚には樹齢700年と言われる「さいかち」の大木(注)がある。また隣地の平等寺内に供養塔が残っている。 <石岡の歴史と文化 平成8年3月発行> 石岡市歴史ボランティアの会編集 石岡市教育委員会発行 (注)「さいかち」の大木は、現在は倒木して存在しない。 |
( 登録No.088/05.02.24 ) |
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