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高浜河岸
 
案内板
高浜河岸の繁栄

   所在地:石岡市大字高浜字中坪

 霞ヶ浦水運の栄えた江戸時代、高浜河岸を経由して江戸方面へ積み出していた物資は、米・麦・大豆・小豆・薪炭・醤油・材木などであった。それらの荷を送り出す地域は、石岡周辺の村と八郷町・千代田町などの恋瀬川流域の村、笠間周辺の村など百二十カ村の広大な地域であった。
 江戸からの戻り荷には、塩・乾鰯・砂糖・ロウソク・呉服・荒物・小間物など加工品や都市の商品が積まれていた。
 恋瀬川流域と筑波山麓の農産物がここ高浜河岸に集められ、当時世界最大の都市だった江戸の暮らしを支える食料・エネルギー源として積み出されていった。江戸の人口が増えるにしたがって、水運は盛んになり高浜の河岸も繁栄の一途をたどった。
 高浜の港には白帆を張った高瀬舟が何十艘と往来し、河岸では大勢の男たちが荷の積み降ろしをしている。そのような光景が、百年以上も前のこの湖岸に広がっていたのである。
 慶応4年3月、高浜神社に奉納された大絵馬は、当時の高浜河岸の繁栄の様子を情緒豊かに描いている。

      石岡市教育委員会
( 登録No.049/04.01.04 )