佐竹義政の首塚 | ![]() |
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案内板 |
大矢橋と佐竹義政の首塚 所在地:石岡市大字石岡16038−2番地 治承4年(1180)11月4日、源頼朝は佐竹氏追討のため常陸国府に到着した。佐竹氏は、太田(現常陸太田市)を本拠に奥七郡(多珂・久慈東・久慈西・佐都東・佐都西・那珂東・那珂西)を支配していた。 佐竹秀義は頼朝の帰順勧告に従わず、金砂山城(現金砂郷村)にたてこもった。秀義の兄義政は縁筋にあたる上総介広常の勧めで帰順し、頼朝と会見のため国府に向かったが、園部川にかかる大矢橋で謀殺された。 大矢橋の西に義政の首塚、行里川に胴塚と伝えられるものが残っている。 昭和61年3月 石岡市教育委員会 石岡市文化財保護審議会 |
( 登録No.046/03.12.20 ) |
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