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清凉寺
 
案内板 1/2
清凉寺の文化財

   所在地:石岡市国府六丁目2番3号
   寺号 :興国山清凉寺
   宗派 :曹洞宗 本尊 虚空像菩薩

 清凉寺は、元徳二年(1330)大掾高幹(浄永)により尼寺が原付近に建立され、文明年間(1469〜1487)現在地に移転したといわれる。
 天正18年(1590)、大掾氏は佐竹義宣に滅ぼされ、清凉寺も焼失した。その後、義宣の叔父義尚が府中城主となり、清凉寺を菩提寺とし、文禄元年(1592)に再建した。
 関が原の役後、慶長7年(1602)佐竹氏の秋田移封にともない、菩提寺としての清凉寺は、湯沢市内町(秋田県)に移された。

*市指定文化財(昭和55年6月27日指定)*

茨城廃寺礎石(考古資料)
 この礎石は、円柱座造出をもつ古い形式で、茨城廃寺の主要建造物の土台石に使用されていたものである。
 茨城廃寺跡は、石岡市貝地二丁目に所在する古代寺院跡である。昭和54年から三次にわたる発掘調査により、約一町半四方の寺域の中に金堂・塔・講堂などの遺構が確認され、8世紀初期の寺院跡であることが明らかにされた。
 また、発掘調査により出土した遺物の中に「茨木寺」「茨寺」の墨書銘のある土器が発見され、この寺は茨木寺とよばれていたことがわかる。
 この礎石は、寺院廃絶後ここに運び込まれたものであろうが、古代寺院を知る資料として貴重なものである。

   昭和60年2月
      石岡市教育委員会
      石岡市文化財保護審議会
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曹洞宗格地興国山清凉寺

   本尊:虚空蔵菩薩
   創建:文亀元年(1501年)10月
    開山:寒室永旭大和尚(文亀6年10月18日寂)
   開基:佐竹左エ門義尚
      (清凉寺殿無外徹公大禅定門)
   本寺:常陸太田市耕山寺
   末寺:北浦金仙寺(当山二世淳室宗朴大和尚)
  (下寺):石岡平福寺(当山三世笑山芳ァ大和尚)

宝物
 釈迦如来涅槃画・大般若経六百巻

縁起
 創立年代は元徳二年(1330年)で最初は尼寺ケ原に有り国分尼寺の一大伽藍の一つであった。
 開基は大掾十郎高幹(興国寺殿凉峰浄清大禅定門)であったが文明12年(1480年)に現在地に移転した。
 文亀元年曹洞宗に改宗して、大本山永平寺開山道元禅師十六世法孫寒室永旭大和尚を請して清凉寺開山とした。
 所が天正18年(1590年)12月佐竹義宣公は一族の伯父義尚を府中に配置し府中城に攻めいった。
 その時大掾清幹は防ぎきれなく清凉寺は焼失した。
 文禄元年(1592年)佐竹義尚が清凉寺を再建し中興開基となった。
 山門に「市中禅林」の扁額が揚げてあるが、これは昔地方の雲水(修行僧)が集まって修行した僧堂をあらわしている。

   山主合掌
( 登録No.028/02.03.08 )