舟塚山古墳 (国指定史跡) | ![]() |
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メモ |
案内板 |
舟塚山古墳(国指定史跡) 所在地:石岡市大字北根本597番地外 指定年月日:大正10年3月3日 舟塚山古墳は、南に霞ケ浦の高浜入江を望み、西に筑波の霊峰を仰ぐ景勝の地にある前方後円墳である。 霞ケ浦の両岸には多くの古墳群があり、その中央部の恋瀬川河口付近に舟塚山古墳が存在する。この古墳は、東国第二位、県内最大の規模を誇り、現在の新治・行方・稲敷三郡を含めた地域の大豪族の墳墓とみられている。 舟塚山古墳の墳丘は、およそ前長186メートル・前方部幅100メートル・後円部径90メートル・前方部高10メートル・後円部高11メートルの規模をもつ。墳丘は三段に築造され、後円部径にくらべ前方部が長く、仁徳天皇陵(大阪府)やウワナベ古墳(奈良県)などに共通する特徴をもっている。周辺の堀は、台地の南側が傾斜面に続くので、北側と同様の規模でめぐらすことはできなかったようである。 舟塚山古墳の墳丘の発掘調査はなされていないが、地元には、多数の刀が出土したという伝えがある。 昭和47年の舟塚山古墳周溝確認発掘調査で円筒埴輪が出土しているが、形象埴輪は確認されていない。また、同調査で舟塚山古墳の陪冢と考えられる円墳から木棺が発見され、単甲・直刀・盾などの副葬品が出土した。舟塚山古墳は、これらの出土品及び墳形から、およそ五世紀後半の築造と推定される。 昭和60年1月 石岡市教育委員会 石岡市文化財保護審議会 |
( 登録No.018/02.01.27 2版 09.12.31 ) |
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