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茨城廃寺跡の瓦
 
案内板 1/2
茨城廃寺跡の瓦

 茨城廃寺跡は、古代茨城郡の郡寺跡で常陸国分寺より古く建立された寺院である。
 三次の調査が実施され、数多くの遺物が出土している。特に多くの瓦類が出土しており、この歩道には三種類の軒丸瓦を図案化して表示した。Aは筑波系と称される素弁八葉花文軒丸瓦で、筑波山麓の東・南側に分布を見ることができる。Bは結城系の瓦で、単弁一六葉花文軒丸瓦と称される。周縁を飾る鋸歯文は華麗な手法を見せており、茨城郡寺の瓦と呼ぶにふさわしいものである。Cは複弁一〇葉花文軒丸瓦で、国分寺系と称されるものである。国分寺創建に使用されたものと同系の文様を持つが、国分寺出土のものは、茨城廃寺のものよりやや崩れた文様であり、国分寺創建にあたって茨城廃寺の瓦文様が使用されたことが考えらている。
 これらの軒丸瓦は、まずAが八世紀初頭に作られ、次にBが続き、八世紀半ばにCが作られ、茨城廃寺跡の瓦として使用された。

   昭和62年4月
      石岡市教育委員会
案内板 2/2
瓦について

 この歩道には古代の瓦を図案化し部分的にはめ込んだ。これらの瓦は常陸国分寺・国分尼寺跡・茨城廃寺跡からの出土のものである。瓦には軒丸瓦・軒平瓦・平瓦・丸瓦・鬼瓦など多様な瓦が使用される。軒丸瓦は一枚ずつ笵に粘土を押し込み丁寧に作り上げるものである。軒平瓦は桶に粘土を巻いて数枚一度に作るものや、一枚ずつ作るものがある。それぞれ年代的な差があり、作りかたや、文様・出土場所などにより瓦の作られた年代を推定することができる。また文様や技術は他地方との交流や、影響が少なからず感じられるものも多い。
 これらの瓦製作技術は寺院建築技術と共に当地方にもたらされたものであり、石岡周辺の良質な粘土が出土する地域に、瓦を作る窯が作られた。製作された瓦は、陸路・水路を通って国分寺・郡寺に運ばれその屋根を飾ったのである。

   昭和62年4月
      石岡市教育委員会
( 登録No.014/02.01.03 )