石岡の一里塚 (県指定史跡)
 
石岡の一里塚供養碑
 
案内板
石岡の一里塚 (県指定史跡)

   所在地:石岡市泉町2108・12805番地
   指定年月日:昭和33年3月12日

 一里塚は、主要街道の一里(約4km)ごとに設けられた一種の路程標である。
 慶長9年(1604)、江戸幕府が江戸日本橋を起点として、東海・東山・北陸の三道の両側に築いた塚を指したのが始まりといわれる。この塚に植えられた榎の木陰が、行路者の休息の場となったことも少なくなかった。
 その後、時代の経過にともない荒廃し、改修の熱意がない地方では、原形を失うものが多く、天明年間には、その大半が失われたといわれる。明治以後まで残ったものでも、その後、道路の拡張などによってうしなわれたものが多く、今日では、両側に残っているものは少なく、特に榎が残っているものは全国的にもめずらしい。
 石岡の一里塚は、旧水戸街道の府中(石岡)から長岡に通ずる街道の両側に残るもので、特に東側の塚の上に植えられた榎が、今も樹勢よく天に向かって伸びている。
 この一里塚は築造当時をしのばせ、江戸時代の交通政策を知る上で重要な史跡である。

   昭和60年1月
      石岡市教育委員会
      石岡市文化財保護審議会
( 登録No.013/01.12.28 )