常陸国衙跡 | ![]() |
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案内板 |
常陸国衙跡 所在地:石岡市総社一丁目2番 常陸国府の成立は、七世紀後半から八世紀初頭である。国府の下に郡衙が置かれ、多河・久慈・那賀・新治・白壁・筑波・河内・信太・茨城・行方・鹿島の11郡を統轄していた。 常陸国は大国で、国府も大規模なものであった。多くの官人や兵役・雑徭のためにやってくる農民たちでにぎわい、国分寺、国分尼寺・国衙工房などの施設が存在した。 国府の中心である国衙の所在地は、石岡小学校付近にあたる。国衙には、国内の政務に携わる行政官の勤務する役所や、倉庫群など、さまざまな建物があった。昭和四十八年、石岡小学校の校舎改築に伴い、校庭の中央部付近の発掘調査が実施され、多くの柱穴が発見された。大型のものは径1.5メートル、深さ2メートルの規模を持ち、これは国衙の建物跡と考えられている。 常陸国府は、東日本の軍事・経済の拠点として、又、宗教文化の中心としての、重要な役割をになっていた。 昭和60年3月 石岡市教育委員会 石岡市文化財保護審議会 |
( 登録No.004/01.12.05 ) |
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